今年も、8月6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日が近づきました。
私は夫の仕事で、30代の頃5年間広島に住んでいました。
暮らしてみて感じましたが、関西とは原爆や平和に関する報道の量の多さが全く違いました。
普段のニュースもそうですし、ドキュメンタリーなども多いです。
とても身近な問題なのです。
広島に暮らして1年目の夏は、原爆のことを考え、夜眠れなかったのを思い出します。
当時暮らしていたのは広島の中心部で、自分の生活する場所でもたくさんの方が原爆で苦しみ亡くなったのだと想像すると、とても辛かったのです。
広島はとても大きな都市で、中心部には百貨店や美術館、球場があり、とても賑やかで便利なところですが、そのすぐ近くに原爆ドーム・平和祈念公園があります。街中には当時から建っている被爆建物や、平和のモニュメント、原爆投下後の様子を表す案内板があり、日常生活の中で原爆を思い起こす事が多かったです。
広島の街中を走る路面電車 原爆投下時、たくさんの乗客・乗員、車両が犠牲になりました。
壊滅的な状況の中で復旧作業を行い、原爆投下の3日後には一部区間で運行を再開したのは有名なエピソードです。
奈良に戻り、そういった情報から少し遠くなりましたが、毎年の広島原爆の日を迎える時の気持ちは、それまでと全く違うものになりました。
そして後世にも、戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを伝えなければと感じます。
しかし、なかなか難しいなと思うこともあります。
小学校では平和教育があり、毎年戦争や原爆に関するアニメや映画などをみているようなのですが、子どもは怖がって毎年憂鬱な様子。6年生の修学旅行先は広島ですが、昨年からコロナで行けない状況なのも残念です。
私は終戦から30年後の1975年生まれ。
よくテレビでは戦争関連の番組を見ました。
夏休みには「戦争を知っていますか」という、子どもが戦争体験者から話を聞く番組がほぼ毎日放送されていたり、中国残留孤児の方の肉親探しの番組もありました。
時々地域の公民館に巡回映画が来るのですが、半分くらいは戦争や原爆に関するものだったと記憶しています。近くに映画館がないので、小さい頃は映画が見られるという意識だけで出かけていました。
さて、橿原市は昭和61年に市議会にて、恒久平和の願いを込めて「非核・平和都市宣言」を決議しています。
その趣旨のもと、橿原市は市民の平和意識を高める目的で、今年は「原爆の絵」(被爆者が当時の記憶を絵に表したもの)のスライドショーを作成しました。
ミグランス1階屋内交流スペースと、万葉ホール1階の案内表示モニターで放映されます。
ミグランスでは、10時・1時・4時の1日3回。万葉ホールでは終日とのことです。
2分30秒の短い映像ですが、もしかすると目を背けたくなるような内容もあるかもしれません。
ただ、なかなか触れる機会のないものだと思います。
お越しになった際には、少し足を止めていただけたらと思います。
放映は、8月31日までです。
広島に住んでいる人でも、平和報道に慣れてしまい無関心な人は多いですし「怖いから戦争はいけない」というだけで平和を伝えていくことの限界も感じます。
ただし、情報から離れすぎてしまうのも不安です。
平和祈念公園 とても大きな噴水があります。
私の母は今年80歳ですが東京出身で、東京大空襲の時、空が夕焼けのように真っ赤になったのを覚えているといいます。
戦争体験者が高齢化していますが、身近な方に経験者の方がいらっしゃりお話を伺えるようであれば、ぜひ聞いてみてください。
白黒の世界の話を、より色付けされた1人1人の物語して聞き、今後も伝えていくことが大切ではないでしょうか。