私が活動をはじめた きっかけ

今井町内に立つ矢追もとの写真
今井町内に立つ矢追もとの写真

私が1人目の子どもを出産したのは、夫の赴任先の広島市でした。

私の実家は新潟県、夫の実家は奈良県。
親も親戚もいない土地での出産と子育て。
当時広島で、私にはまだ出産や子育てをしている身近な友人はいませんでした。

それでも「私はちゃんとした母親にならねば!」という責任感で、とにかく力が入っておりました。
しかし、出産と育児というのは予想以上に大変でした!!

出産後から母乳が出ず、理想の授乳とはまったく違う、血と涙のにじむ授乳タイム・・・。
相談した助産院での「こどもがミルク漬けになっている」の言葉にひどく傷つき

「マッサージ」「ハーブティー」「漢方」「針治療」「根菜のお味噌汁」・・・・
ありとあらゆる手段で「なんとか母乳を」と四苦八苦したものの、結局諦めることになり、育児のスタートから「母親失格か・・・」と悩みました。

また、産後は体調を崩しがちなことも多く、ぎりぎりの体力での育児でした。のちに甲状腺機能低下症という病気だったことが判明。

唯一頼りにできる夫は、仕事で忙しいと留守がちで、あまり協力的でもない・・・

「うちの子の育児、これで大丈夫なのかな」「たまにはゆっくり眠りたい・・・」

そんな中で、市の子育て相談の電話窓口には度々電話をしました。


少しご年配の優しい女性の方が窓口に出られることが多く、いつも丁寧に話を聞いてくださいました。「お母さん、とっても頑張っていますね」との言葉に涙がでそうになったことも・・・
成長過程でのちょっとした不安から、子どもを介したママ同士のいざこざなども聞いていただいたり。また病気の際には、お医者様が電話をかわってくださることもあり、とても安心感がありました。

他にも、地域で月一回、気軽な形で直接相談できる機会があったりと、それぞれに使い分けながら活用し、とても助けられました。

             広島市 元宇品にて

それから、橿原市に転居。

また子育てに悩んだ際に、橿原の「子育て相談」の窓口に電話をしたのですが、自分が思っていたものとは違うことに気がつきました。

相談窓口は、「ある」というだけでは機能は果たせません。


きちんと言葉で言い表せないモヤモヤした悩みもある

「自分が頑張らないと」と、無理をして相談ができない人もいる

相談窓口があることに気がつかず、支援が届かない人もいる

私と同じ思いをしている人がいないだろうか?
弱音を吐ける場がなく、苦しんでいる人がいないだろうか?
そう思って、ことあるごとに子育て支援に関する意見を行政にも届けてきました。

しかし、まだそれは形になっていないように思います。


他にも目を向けてみると、若者に対する政策、お年寄りに対する政策、障害や貧困などの問題を抱えている方への政策、様々な分野でまだまだ足りない部分が見えてきています。

橿原市は、今人口が減っています。
少子高齢化だけでなく、子育て世帯の転出が続いています。

橿原市を、子育て世代に選ばれる市にすること。
そして、誰もが住みやすいまちにすること。

橿原市が安定し、今後も持続可能な市になること。

これらのことは、待ったなしで、今すぐ取り組まなければなりません。
そのために、私は活動をしています。